元厩務員の追憶

元厩務員の追憶

人が好きで、人間が嫌いで、馬が好きで、愛おしくて、そんなブログです。

 

追憶の名馬たち6 1972年

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桜花賞馬アチーブスターが休養に入り、オークス不参戦。

桜花賞1番人気で7着に敗れたシンモエダケ。東京に乗り込み4歳牝馬特別に出走も、またも7着に惨敗。オークスを回避、休養に入った。

桜花賞2着ハジメローズ、3着センコウミドリを中心に、わずか6頭の参戦となったオークスの関西勢。



数的、人気面でも関東馬が俄然盛り返してきた。



なかでも、関東の中心的存在となったのが、タカイホーマ。

半兄に天皇賞ヒカルタカイがいる良血。

3歳(現表記2歳)時は4戦2勝。4歳になり京成杯5着のあと、クイーンカップをナオユキに5馬身の差をつけて圧勝。期待された桜花賞は体調不良で断念。西下せずにオークスへ備えた。

5月・カーネーションカップ、6月・4歳牝馬特別と連勝し、オークスを狙う。



クイーンカップ2着、4歳牝馬特別4着のナオユキ。

のちに母となり、中央競馬最高齢出走15歳の記録をもつミスタートウジン(99戦11勝)、天皇賞2着をはじめ重賞2勝のミスターシクレノンを出している。



7戦2勝も、4歳牝馬特別でタカイホーマの2着となり、一気に有力馬となったタケフブキ

半弟にハイセイコーの永遠のライバルとなったタケホープがいる。姉弟で母ハヤフブキの血を良血に持ち上げた。現在も続く母系。タケフブキの曾孫世代に、ダートで活躍するグランドシチーがいる。




7月2日、オークス


1.ハジメローズ
2.カミノチドリ
3.ナオユキ
4.トスカーナ
5.キョウエイグリーン
6.カンツォーネ
7.タカイホーマ
8.ウエスタンローズ  出走取消
9.センコウクイン
10.タケフブキ
11.シャダイカール
12.ナスノヤヨイ
13.オンワードセレナ
14.シードリーム
15.スターチャイルド
16.スイートスワロー  競走中止
17.センコウミドリ
18.フミユキ
19.ダリップ


1番人気タカイホーマ

2番人気ナオユキ

3番人気タケフブキ

4番人気センコウミドリ

5番人気シャダイカール




桜花賞で快速逃げを打ったキョウエイグリーン。

オークスでも軽快な逃げ脚を見せた。


続くセンコウミドリ、センコウクイン。内からカミノチドリ、ハジメローズ、オンワードセレナ。

タカイホーマはその後につけた。



シャダイカール、タケフブキは後方。


社台の総帥・吉田善哉氏所有のシャダイカール。

1955年に繁殖牝馬8頭を持って独立した吉田氏。積極的な牧場経営、外国から種牡馬導入に取り組み、1971年には北海道早来に社台ファーム早来(現ノーザンファーム)を設立。この年に社台の繁栄の引き金ともなった種牡馬を導入した。その名がノーザンテーストである。



向う正面に入るや、センコウクインが先頭を奪い、キョウエイグリーンを両センコウが挟む形となって進んだ。


中団、じっくりと前を見るタカイホーマ。

父スパニッシュイクスプレスの短距離の血を、菊花賞天皇賞を制した母父ハクリョウの血で補った。


その血の正しさを証明するには、勝つこと、以外にはなかった。



直線、早くも先行勢が下がりだした。


まだ早い。


思いつつ、外から迫るタカイホーマ。



内から馬群をすり抜けて来たのは、人気薄カンツォーネ


だが、タカイホーマの敵ではない。鞍上・大崎昭一は自身のムチをくれた。



その時だッ!



ピタッと寄り添う馬がいた。



タケフブキだ。

影のように外から迫り、並びかけた。



長い、熾烈な戦い。


タケフブキ鞍上・嶋田功

騎手9年目。1969年、ダービーで1番人気タカツバキに乗り、スタート直後に落馬。71年ナスノカオリで桜花賞制覇。


タカツバキが落馬したダービーを制したダイシンボルガード、乗っていたのは大崎昭一


そして、いま、タカイホーマに乗る。



タケフブキ、タカイホーマ、互いに譲らぬ、いや、譲られない、死闘。



長い、長い、鬩(せめ)ぎ合い。



ゴール目前に、力尽きたのはタカイホーマ。



タケフブキが勝利した。

前年カネヒムロに続き、連続パーソロン産駒が勝利した。



1着タケフブキ

2着タカイホーマ

3着カンツォーネ

4着シャダイカール

5着スターチャイルド




わずかな、ほんのわずかな明と暗。


だが、果てしなもなく、大きな明暗だった。



(つづく)

 

 

 

 

サクラの花が咲き誇り、やがて散りゆく サクラスターオー

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サクラショウリ、母サクラスマイル。1984年5月2日生まれ。

サクラショウリはダービー馬。

母サクラスマイル自身はラジオたんぱ賞エリザベス女王杯3着。半兄にサクラシンゲキ、半弟にサクラユタカオー

『サクラ』のオーナー・全演植氏、期待の1頭として生まれてきたのが、サクラスターオーだった。



サクラスターオーが生まれて2ヵ月後の7月15日、母サクラスマイルは放牧中に突然倒れた。腸捻転を発症していたのだ。

スマイルが倒れ、牧場の人たちが駆けつけた時、スターオーは幼い体で懸命にスマイルを起こそうとしていたという。だが、スマイルは二度と立ち上がることはなかった。


母サクラスマイルはスターオーのみを世に残して去った。


母馬が出産後まもなく死亡した場合は、他の仔馬でも乳母として受け付けるのだが、スターオーの場合、2ヵ月の母との生活があったから、母スマイルの匂いがついた仔馬を他の馬が受け付けるのは困難だった。

藤原牧場の場長の藤原祥三氏は自らの手でスターオーにミルクをやり続けた。昼も夜も親代りとなった藤原氏。やがて、藤原氏の足音が聞こえるとスターオーは甘え声を出すようになったという。

ミルクのことは解決できても、運動に関してはスターオー1頭を群れの中に放すことはできない。そこで4代前母で功労馬となっているスターロッチを育て役として、ともに放牧に出した。

高齢ゆえに一緒に走り回ることはできなくても、スターロッチは飛びまわるスターオーを見続けていた。

母を失ったスターオーは、「ばぁーば」のそのまた「ばぁーば」に守られ、癒されて育った。遅生まれであったが、心の成長は同期の仔馬よりも、うんと早かったという。

サクラスターオー、その『スター』はスターロッチから取られた名前だ。



1986年10月デビュー戦を2着のあと、2戦目で勝利したスターオーだが、脚部不安によって4カ月の休養。生まれながらにして前脚が外向していたスターオー。つねに脚部不安という爆弾を抱える競走生活となった。

4歳(現表記3歳)春、寒梅賞で復帰5着。弥生賞を6番人気で勝利。一躍、皐月賞の有力候補となった。


4月19日、皐月賞

マティリアル、マイネルダビデ、バナレット、ホクトヘリオスを相手に後方から一気に差し切り、ゴールドシチーに2馬身半の差を付けて圧勝したサクラスターオー

鞍上、東信二はこの時点で3冠を確信したのか、シンボリルドルフの表彰式で岡部騎手がしたと同じく、人差し指1本を高々と上げて見せた。



脚元に爆弾を抱えるサクラスターオー。ダービーへ向けての調教中、前脚に軽靭帯炎を発症。

ダービー制覇は幻となった。



秋になり、ダービー馬メリーナイス、マティリアル、レオテンザンサニースワロー、有力馬が続々と菊花賞トライアルに登場するなか、サクラスターオーはスタート台に立てるのか、さえ不安視されていた。

強い調教を施すと脚が腫れる、腫れが引くのを待つ、強い調教、また腫れる、その繰り返しの日々だった。

それは菊花賞の週になっても続いていた。栗東入りしたスターオーだが、どこか不安があれば、すぐ取りやめる。そんな状況のまま迎えた菊花賞だった。


11月8日、菊花賞

9番人気、皐月賞馬ではあるが当然であったかもしれない。半年ぶり、しかも、直前まで出否が明らかでなかったサクラスターオー。常識ではとても、まともに走れるとは思えない。

レースは中団を進んだサクラスターオー

スターオーの背中から伝わってくる感触に鞍上・東は驚いた。

まったく休み明けを感じさせない、

凄まじいまでの闘志。


これが、サクラスターオーだ。

凄い!


4コーナー手前、自らハミを取って進出するサクラスターオー

奇しくも直線、黄色い帽子が3つ並んだ。サニースワローレオテンザン、2頭を露払いのごとくサクラスターオーが抜け出してきた。

「菊の季節にサクラが満開! 菊の季節にサクラが満開! サクラ、サクラスターオーです」

杉本アナの名調子を生み出した菊の奇跡が起こった。



12月27日。有馬記念

サクラスターオーの脚元を考えて、来年春まで休養を決め込んでいた平井調教師、オーナー。しかし、ファン投票第1位、JRAからも出走を要望されてやむなく出走となった。

レースは大波乱を予告するかのように、ダービー馬メリーナイスのゲート直後の落馬で始まった。

後方から進めるサクラスターオー

痺れるような手応え、鞍上・東は勝利を確信した。

3コーナー、内は荒れている。外を通らねば。

だが、前は壁に。

空いているのは内1頭分だけだ。


仕方なく突っ込んだ、内。

ここに悪夢が待ち受けていた。


すぐそばにいたメジロデュレンの村本騎手は聞いた。

サクラスターオーがスパートをかけた瞬間、鈍い音が」

鞍上・東は事態の重さに慄いた。


馬群から離れ、下馬した東の目にしたものは、球節から下がほぼ直角に折れ曲がったサクラスターオーの左前脚だった。


レースは1着メジロデュレン(10番人気)、2着ユーワジェームス(7番人気)、3着ハシケンエルド(14番人気)という大波乱に終わった。




安楽死処分となる重傷だったサクラスターオー

オーナー・全氏は獣医に懇願した。

「あの馬は息子も同然、なんとか生かしてやってほしい。費用ならいくらでも払う」


あのテンポイントがそうであったように、延命のために様々な措置が取られた。

脚に負担がかからないように、体重も落とした。

ボルトを9本も入れる大手術も行なわれた。


JRAから年度代表馬の称号も贈られた。生死をさ迷うサクラスターオーにどれほどの価値があったのか?


春が来て、サクラの花が咲き誇り、やがて散りゆく季節。

460㌔あったスターオーは250㌔までやせ衰えていた。

痛みからか、人を寄せ付けない暴れぶりも見せるようになった。


もう限界だ。よく頑張った。これ以上の痛みは耐えられないんだろう。

平井師は決意した。オーナーに安楽死させたい旨を伝えた。


有馬記念から137日間、長すぎる闘病生活を終え、サクラスターオーは永眠した。



サクラスターオーの葬儀の席、トレードマークの白いメンコを平井師は納めなかった。

「天国に行ってまで、走らなくていい」


サクラスターオー、わずか7戦。

日々、脚の痛みのなかでどれほど走り続けたか。

奇跡といわれる菊勝利。

舞台に上るまでの苦痛の走りは、誰も知り得ない。


母なき仔の我慢強さが、悲しいまでの運命をもたらしてしまったのかもしれない。

 

 

 

 

ムラサキ伝説17

父・剛造の愛人の子として生まれ、無理やり母と離され、愛に飢え育った高岡史郎。『しあわせ』という形のないものをつねに追い求めてきた。家庭を持ち、子を愛し、幼いころから抱き続けていた『しあわせ』の中にいる自分を見つめていたはずだった。水沼恵理という女性の存在が、その『しあわせ』を幻影のものとすることなど夢にも思わなかったはずだ。 



男女間の思慕に理屈はない。 



防御の壁など簡単に打ち破り、

心の中を占領する。 

史郎は何度、自分に言い聞かせたことか。妻ある身、子ある身の自分が他の人を好きになってどうする。これじゃ、あれだけ嫌っていた父と同じじゃないか。自分を責める気持ちとは裏腹に、恵理への気持ちはあがなうことができなかった。そして、恵理が妊娠していることを知らされたのが、ちょうど父・剛造に連れられて北海道の正木牧場に行く直前だった。 



「一人で育てるから産ませてほしい」 

母が父・剛造に言った言葉。


史郎は恵理から聞かされた。悩んだ。悩みの中で史郎は北海道へ行き、ムラサキデンセツの誕生と遭遇したのだ。 


「女の子やったんですよ。あの年の10月、僕の娘が生まれたんです」 

史郎は続けた。 


「許されるなら、今すぐにでも恵理と3人で暮らしたい思てます。そやけど、健史と智史の2人の息子も可愛い。愛情がないとはいえ、亜希子も結婚した限り、しあわせにせなあかん。誰も悪ない、みんな僕が悪いんです。どうしたらええか、正直、わかりません。情けない思てます。そんな情けない僕は、ムラサキデンセツに託したんです。ムラサキデンセツがデビューした時、この馬が僕の『紫の伝説』ちゃうやろか、この馬が、来年、桜花賞に勝ったら恵理と一緒に人生をやり直そう、そう決めたんです。身勝手です。でも、そう決めるしかなかった」 


どうしようもない身勝手だ。亜希子、恵理どちらを取るにせよ悪人にならなければならない。しかし、悪人になり切れない自分がいて、その運命をまた、馬に託す。史郎の弱さだが、元津は許せた。自分は弱さを見せず、直面した現実から逃げてきた。女一人しあわせにすることも、いや、しようともしなかった。 それに比べれば、弱くても真剣にしあわせを考え、悩む史郎の方が、はるかに人間っぽい。




史郎と別れたあと、元津は一人歩いた。

この夜は元津の方が悪酔いした。

寒風の中、ふらつきながら元津は吐き場所を求めて、何度も足を止め、またふらついた。久々だ。いつ以来だろう、吐くなんて。苦しさのなかで苦笑いしながら、どこをどう歩いているかもわからず、元津は歩き続けた。年甲斐もなく涼子との想い出に浸ろうとしたことも、悪酔いの原因だった。



閉じていた心に風が吹き始めていることを、元津はかすかに感じていた。


(つづく) 

 

 

 

 

追憶の名馬たち5 1972年

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『ターフの魔術師』とまでいわれた武邦彦

1957年デビュー、16年目。600を超える勝ち鞍を上げながら『8大競走』の勝利はなかった。


8番人気、伏兵アチーブスターで、ようやく勝利した。


獲るならこの馬だろう、と思われた皐月賞ロングエース

ひと足早く桜花賞で、予想を覆して勝利した。


誉めるべきはアチーブスター。私はただ乗っただけ。

恐らく武邦彦ならそう言っただろう。


『騎手よりも先に馬がある』、それが武邦彦の信条だったから。


そして、また新たな気持ちで、ロングエース皐月賞に挑む武邦彦



兄ロングワンは関西を代表する強い馬だった。父サウンドトラック、短距離血統に泣いた。2戦目新馬戦から6連勝も、距離が伸びたきさらぎ賞で負け、弥生賞で惨敗し、クラシックを諦めた。

父を長距離系ハードリドンに変え、ロングエースは『兄を超える』、そのために生まれてきた。

母ウインジェストを名牝とするために。

仕上がり遅れ、年初めから参戦。新馬戦から5連勝でトライアル・弥生賞を制覇した。




ロングエースと人気を二分したタイテエム。鞍上は須貝四郎(現調教師・須貝尚介は甥)。ジョッキー4年目の新鋭。

この年のクラシックはこの馬しかいない、といわれたヒデハヤテをスプリングSで破り『貴公子』タイテエムの名を全国に轟かせた。若い須貝四郎に乗り替ってから3連勝目での快挙だった。



種牡馬テスコボーイの初年度産駒であるランドプリンスは、母系に血統書のないミラがおり、前年の2冠馬ヒカルイマイとは近親のサラ系、彼も『サラブレッドと思われる馬』だった。

新馬戦から13戦走り続け、ヒデハヤテの2着2回、ロングエースの2着2回、強い馬にぶつかり跳ね返されながら、力をつけてきた『野武士』。鞍上は6年目、地味な努力型騎手・川端義雄だった。


三者三様の道を歩んだ馬と騎手。


クラシック、過酷な戦いに突き進む。




5月28日、皐月賞


1.ファインダイヤ
2.イシノヒカル
3.カネアキバ
4.ニッセキタリアー
5.ランドプリンス
6.フジリュウオー
7.コウチアサヒ
8.セカンドブラザー
9.スズボクサー
10.ノボルトウコウ
11.ユーモンド
12.タイテエム
13.ムツミエース
14.ロングエース
15.トルーエクスプレス


スタートするなり外の馬が内へ切れ込んで上がって行った。

大外から果敢に行ったトルーエクスプレス。

内から食らいつくファインダイヤ。


その後ろに2頭が並んだ。タイテエムロングエースだ。


3馬身と馬群が離れ、後続の先頭につけたのがランドプリンス


中団にムツミエース、ユーモンド。後方にイシノヒカル

虎視眈々と、前を睨んだ。




快調に逃げるトルーエクスプレス。

4コーナーではすぐ後ろにやってきたタイテエムロングエース


やはり、2頭の戦いか?



直線、必死に逃げ込みを図るトルーエクスプレス。

馬場の6分所を通って追い上げるタイテエムロングエース


並んだ、並んだッ。だが、抜け出せない2頭。

早めに追い上げたのが、トルーエクスプレスの術中にハマったか?


伸びない。



内からスパートを見せたのは『野武士』ランドプリンスだッ!


川端の渾身のムチを受けて、真一文字に伸びた。



大外から追い上げるのは、

馬インフルエンザで出遅れた関東馬の大将格、イシノヒカルだ。

鞍上は加賀武見


その闘魂が乗り移ったかのように、凄まじい末脚で迫ってくる。



直線、あと100mのどんでん返し。



勝ったのは、耐えに耐えた『サラブレッドであろう馬』ランドプリンスであり、

大外から半馬身まで迫ったのが、馬インフルエンザの影響を乗り越えたイシノヒカルだった。


1着ランドプリンス

2着イシノヒカル

3着ロングエース

4着ユーモンド

5着ファインダイヤ



タイテエムは7着に沈んだ。


(つづく)

 

 

 

 

追憶の名馬たち4 1972年

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桜の女王。


あと一歩。



母ハクニシキは1960年オークス3着馬ではあるが、母系は3代前から消えている。

サラ系』、サラブレッドであるだろう馬。

いわれのない屈辱を受け続ける母系から出たシンモエダケ。


小倉デビュー・・・クラシックを獲れる器ではない。言われ続け、走った。

条件馬のように走り続けて12戦、8勝。牝馬に負けたことは一度もない。



そして、自他ともに認める最有力候補として臨む桜花賞



幼年期に忘れられた存在であったヒカルイマイ、トウメイ。眩いほどに輝いた『反逆の血』。

ともに父シプリアニだった。

そして、シンモエダケも同じ、父シプリアニ。



シンモエダケが勝たなくて、誰が勝つ。




5月21日、桜花賞


1.マルブツフラワー
2.クラウンローザ
3.アチーブスター
4.センコウクイン
5.シードリーム
6.タイソング    出走取消
7.バンブーシザラ
8.カンツォーネ
9.ビーテイーフラワー
10.トクザクラ
11.センコウミドリ
12.ツキトシ
13.シンモエダケ
14.キョウエイグリーン
15.マンジュザンオーヒ
16.ハジメローズ
17.パッシングローズ
18.ロシナンテ
19.トスカーナ
20.イッシュン
21.オネスト


馬インフルエンザで打撃を受けた関東からはトクザクラ、キョウエイグリーン、わずか2頭の出走。

断然1番人気はシンモエダケ。

2番人気トクザクラ、3番人気キョウエイグリーン、4番人気センコウミドリ、5番人気パッシングローズ。



走らなければ、勝つことはない。出るからには、めざすは桜の女王。人気など、関係ない。


どの馬も、その目は輝いていた。




関東の快速、キョウエイグリーンが逃げた。

圧倒的スピードだった。


3馬身離れてセンコウクイン、センコウミドリ。

トクザクラが4番手で追っかける。


さらに3馬身離れてハジメローズ、パッシングローズ、シンモエダケ。

後続が集団で続く。



関東からやてきた快速。キョウエイグリーンにまったくついて行けない19頭。

3、4コーナー中間では2番手に5,6馬身の差をつけて悠々と4コーナーへ向かった。


おっつけ通しのセンコウクイン、ミドリ。トクザクラも懸命に追う。


シンモエダケは前へ進まない。中団が精一杯。

焦る気持ちが空回り。



直線、逃げ込みを図るキョウエイグリーン。


追っかけるのはセンコウミドリ、トクザクラ。



外から、グングン伸びてきたのは、ハジメローズ。13番人気。


内から伸びてきたのは、アチーブスター8番人気。



人気のない伏兵。走るからには、めざすは女王。

乾坤一擲(けんこんいってき)、矢のように伸びた!



武邦彦武豊の父)が鞍上のアチーブスター。

デビュー16年、関西の名手といわれながら8大競走未勝利という武邦彦

『ターフの魔術師』がアチーブスターに魔術をかけて、内から突然現れた。


アチーブスター、その父はシプリアニ。


粘るキョウエイグリーンを一瞬にして抜き去り、後続に3馬身の差をつけたアチーブスター。



『反逆の血』は、ここにあった。


1着アチーブスター

2着ハジメローズ

3着センコウミドリ

4着トクザクラ

5着キョウエイグリーン



シンモエダケは、7着と敗れた。



絶対は、ない。

これが競馬の難しさ。



(つづく)

 

 

 

 

夢のかけらも拾えない走りでも・・みんなの夢を乗せて走ります ダイユウサク

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ドリームレース、有馬記念

みんなの夢が走ります。

あなたの夢は 何ですか?


杉本アナの名調子。

ファン投票を軸に選ばれる出走馬、まさにファンにとってのドリームレース。


しかし、それは馬にとっても、

生涯を賭けたドリームレースなのかもしれない。



ダイユウサク

ノノアルコ、母クニノキヨコ。

父は世界的種牡馬ノーザンダンサーを出したニアークテックの直仔。母は1勝馬だが、その母クニノハナはビクトリアC(エリザベス女王杯の前身)の勝ち馬。

血統的には期待されて当然の背景があったダイユウサク

1985年、生まれてすぐに牧場に訪れた内藤繁春調教師は、バランスのいい馬体に目を付け自厩舎で預かることを、その場で約束したという。


中央競馬でのデビューも確約され、前途洋々に見えたダイユウサクだったが、その後の成長ぶりは関係者を落胆させるものだった。

6月という遅生まれでもあり体は他の同期よりも小さく、体質が弱く、腰が甘いため追うとすぐ疲れを出す。



3歳(現表記2歳)12月。同期の若駒が続々とターフにデビューしている頃、ダイユウサクは漸く牧場から、栗東トレーニングセンターに入厩した。

生まれた時以来、成長したダイユウサクを見た内藤師は驚いた。それは、失望に近い驚きだった。

馬体は大きくなった。だが、想像していた馬体とはまったく違っていた。


体質の弱さはひどく、飼い葉も合わない状態。デビューまで1年近くかかってしまうことになる。


ヤエノムテキサクラチヨノオーサッカーボーイオグリキャップスーパークリーク、同期といわれる馬たちの活躍ぶりが聞こえるなか、ダイユウサクはデビューすらまだない状態だった。


4歳10月、400万下、ダート1800m。漸くデビュー戦。

11頭立て11着。1着馬から13秒差。


11月、福島未勝利戦、芝1800m。

14頭立14着。1着馬から7.3秒差。


夢のかけらも拾えない走りだった。

競走馬失格、引退。

真剣に考えられた。

地方に転出するにも、この惨状では引き取り手もない。

それよりも、内藤師を想い留まらせたのはダイユウサクの澄んだ瞳だった。

「もうちょっと、様子を見てみよう」

内藤師は馬主に頼み込んだ。

もうしばらく、辛抱してほしいことを。



5歳となってダイユウサクは変わった。

競走馬として目覚めたのか?

自分の将来の危険を察知したのか?

はたまた、自分を見つめる内藤師の心がわかったのか?


5着、8着のあと5戦目で初勝利。

5歳時に5勝を挙げ、6歳時は3勝。重賞レースでも3着、4着と好走。


年齢的に下り坂となる7歳、正月の名物レース金杯で重賞初制覇。

2000mまでの重賞では有力馬の1頭に数えられるようになった。



暮れに行なわれる有馬記念2500m。ドリームレース。

ダイユウサクは登録してきた。

それは、内藤師の一存だった。


ファン投票でもまったく上位に名が出ないダイユウサク

活躍距離も2000mまでのダイユウサク

内藤師以外の関係者は唖然状態だった。

もちろん、ファンも何でここにダイユウサクが……状態。


競馬会の推薦による出走しかないダイユウサクだが、議論百中の末の推薦であった。



1991年、12月22日、有馬記念

圧倒的1番人気がメジロマックイーン単勝1.7倍。ダイユウサクは15頭立14番人気単勝137.9倍。


みんなの夢が走ります。

私の夢は、ダイユウサク

という人は、おそらく一握りの人であっただろう。



レースは稀代の逃げ馬、ツインターボの先行で始まった。

単騎逃げであってもスローペースなど好まないツインターボ。逃げて逃げて逃げまくり、捕まった所がツインターボのゴール。あとは追い抜かれるだけ。壊滅の走りこそがツインターボの魅力だった。

そのペースを見越して中団に控えるメジロマックイーン

その内を影のようにマークするダイユウサク

メジロマックイーン鞍上の武豊にとって、最初から眼中にないダイユウサクは、走りそのものが影の存在だったかもしれない。


2周目3コーナー、早くも失速ぎみのツインターボ

プレクラスニーダイタクヘリオスが先頭に。

そして、メジロマックイーンが外から進出を開始。


直線、いち早く先頭に躍り出たプレクラスニーが逃げ込みを図る。

外から伸びてくるのは、

誰もが信じて疑わないメジロマックイーン

力強い! グイグイ伸びる。


プレクラスニーを交わし去った!

その内から、矢のように突っ込んで来る馬がいた。

ダイユウサクだ!


生まれた時から仲間たちにあざけられ、ののしられもした。

レースで惨敗し、身の置き所もない自分だった。

走ればいいんだ!

勝てばいいんだ!

めざすは、てっぺん!


見よ! これが、ダイユウサクだぁ!


1馬身4分の1差、

炎の走りはメジロマックイーンをも捻じ伏せた。


2分30秒6、有馬記念レコードで優勝したのは、14番人気ダイユウサクであった。


ゴール後、左手を高々と突き上げた鞍上・熊沢重文


その日、ダイユウサクの担当厩務員平田が馬房へ帰ると、書き置きと缶ビールが一つあったという。

ダイユウサクとお先に祝杯をあげました」

残されたメッセージの主は熊沢だった。


ダイユウサクと二人っきりの祝勝会で熊沢は何を語ったのだろうか?



種牡馬を終えたダイユウサクは、その血を残すことはできなかったが、いま、うらかわ優駿ビレッジでニッポーテイオーウイニングチケットらと仲良く余生を送っている。

すべては有馬記念勝馬という看板があればこその余生ともいえる。

その澄んだ瞳は、いまも変わらないという。

 

 

 

 

雪のように白い稲妻 シラユキヒメ

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雪のように白い馬、白毛

父母に遺伝子を持たない場合、それは突然変異による。

確率は1万頭に1頭とも2万頭に1頭ともいわれる。


日本で最初に生まれたのがハクタイユー。1979年生まれ。

ロングエース黒鹿毛、母ホマレブル栗毛。

競走成績は4戦0勝だったが、種牡馬となり、その白毛の遺伝子をつないだ。

だが、産駒に活躍馬は見い出せなかった。


現在までに日本での白毛馬は突然変異6頭。遺伝子によるもの14頭。

合わせてわずか20頭の白毛馬。

その希少さからも、活躍馬を期待するのは酷な話。



1頭の白毛牝馬の出現を見るまでは。



1996年、4月4日。

サンデーサイレンス青鹿毛、母ウェイブウインド鹿毛

突如として生まれた白毛馬。

偉大なサンデーサイレンスがただ1頭残した白毛馬、

それが、シラユキヒメだった。


9戦0勝。白毛馬による中央初勝利を期待されたが、なせぬままに引退。

繁殖生活に入った。


2003年、第1子、ブラックホークとの間に白毛馬誕生。5戦0勝。


2004年、第2子、クロフネとの間に白毛馬誕生。名はホワイトベッセル

現在16戦3勝。2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、白毛馬の中央初勝利馬となった。


2005年、第3子、ユキチャン。父クロフネ

兄と同じく2戦目の未勝利戦を勝ち上がり、3歳時、ミモザ賞を快勝。白毛馬の芝レース初勝利に加えて、特別戦初勝利をつかんだ。

オークス出走を狙いフローラカップに出走も7着と敗れ、路線をダートに変更。川崎競馬場関東オークスで2着に8馬身差の圧勝。

白毛馬初の重賞レースの覇者となる。

4歳12月・クイーン賞、5歳1月・TCK女王盃と重賞2勝。

現在、休養中。



2008年、2009年、2010年とクロフネとの白毛馬を出産したシラユキヒメ



白毛馬の初の記録を次々と塗り替える仔たち。

それはシラユキヒメの希望であり、偉大な種牡馬サンデーサイレンスの野望なのかもしれない。


いつの日か、白毛馬がG1の栄冠を。

シラユキヒメは、その白き姿に誇りと希望を持って、産み続ける。


わが仔がだめでも、その仔の仔が……。

果てしなき想いを、その血に託して。


舞い散る雪の大地に、大いなる嘶(いなな)きは響き渡る。

 

 

 

 

奇跡の末脚の軌跡 フジキセキ

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1992年、日本の競馬界に生まれた67頭の仔馬たち。

サンデーサイレンスのファーストクロップ(初年度産駒)。

皐月賞馬ジュニュイン、ダービー馬タヤスツヨシを出し、サンデーサイレンス時代到来を予感させるに十分だった。

その中でも、最もサンデーに似た馬といわれていたのが、

フジキセキだった。

サンデーサイレンス、母ミルレーサー


父と同じ青鹿毛、父の流星の代りに、額には白く星が輝いていた。

垢ぬけした均整のとれた馬体、調教の動きも群を抜いていた。


1994年、8月、すでにサンデーサイレンスの産駒が続々新馬戦を勝ち上がるなか、新潟の3歳(現表記2歳)新馬戦に登場したフジキセキ

4コーナーを3番手で回り、直線、抜け出し、2着を8馬身ぶっちぎった。


10月、もみじSではダービー馬となるタヤスツヨシ以下に持ったままで完勝。


12月、朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティS)に登場。

話題はフジキセキ対、同じ2戦2勝の外国産馬スキーキャプテンに終始した。

1.5倍の1番人気がフジキセキ


レースでは好位からフジキセキがあっさり抜け出すところを、スキーキャプテンが襲いかかるも、フジキセキがクビ差制した。

ムチを使うこともなく、クビ差以上の余裕の勝利だった。



初年度から旋風を巻き起こすサンデーサイレンス産駒。

間違いなく頂点はフジキセキだった。


この年、ナリタブライアンが3冠制覇。

来年、クラシックをリード、2年連続3冠の夢も……。

昇りつめた評価。



明けて4歳。

弥生賞で、評価の正しさを証明したフジキセキ

2番手から、直線先頭もゴール100mでホッカイルソーに並ばれる。

そこからがキセキの末脚。あっという間に2馬身半突き放した。


フジキセキ=奇跡、輝石、軌跡、さまざまな意味が込められているという。

あの突き放しこそ、まさに輝石!

絶賛され、クラシック制覇は不動といわれた。



4戦4勝。

フジキセキの軌跡だった。


弥生賞後、屈腱炎を発症したフジキセキは、即、引退した。

あまりにも惜しい競走馬としての軌跡。